Zen

Zen

Zenとは、座禅をして、心を一事に集中して余念がない、もしくは、一心不乱に物事をする境地に入り、悟りを開く宗教です。

不立文字(ふりゅうもんじ)と言って、言葉にすると解釈が変わってくる恐れがあると考えられたため、キリスト教の「聖書」のようなものはなく、したがって上記も正確な定義ではありません(文字では正確に定義できない)。私なりの解釈です。

茶の湯は、この禅とともに発達し、禅の基本原理を取り入れており、一体とみなす人もいます。

もちろん、こうした考え方があるというだけで、茶の湯は400年以上の歴史の中で、大きく方向性が右に行ったり左に行ったりしてます。

「茶の湯 Performance Art × Zen × Installation × Japanese Food」と書きましたが、Installationにフォーカスが当たり、茶道具の収集が盛んに行われたり、Artの側面が重視され、点前について論じられるようになったり。

但し、「茶の湯 Performance Art × Zen × Installation × Japanese Food」とあるように、茶の湯を語るうえで、Zenが外せない要素であることも事実です。

いくつか理由があるのですが、大きくは3つ。

1つ目は、茶の湯が、禅宗、特に大徳寺派の臨済禅と密接に結びついて発達したというのがあげられます。

栄西という僧侶が、臨済禅とともに、喫茶の習俗と茶種を伝えて帰朝しました。また、南浦紹明という別の僧侶が、台子を請来し、当時最先端の喫茶の習俗を持ち帰りました。

このように喫茶の習俗の輸入と普及は、禅僧に負うところが多くありました。

そして、極めつけが、村田珠光が、喫茶の諸方式を総合して、現在の茶の湯の基礎となる侘茶を創始するにあたり、基本原理としたのが禅の精神であるところが大きく起因しています。

2つ目は、Zenとは、心を一事に集中して余念がない、もしくは、一心不乱に物事をする境地に入ることだと書きましたが、1つの茶碗を目の前に、決まった型による点前を繰り返し稽古し、ただお茶を点てることだけに専念するということが、禅と相通じるところです。

最後に、茶の湯の理念・目標とするところが、禅の目標とするところと深く相通ずるという点にあります。

茶の湯は、自ら楽しむとともに他をも楽しませることが第一であり、禅においても同じ考え方があります。また、決まった型による点前の繰り返し稽古と表現しましたが、茶の湯がそうしたことを通じて形成しようとする理想的な人間像が、禅と通じるところがあります。さらに、茶の湯でよく表現される「和敬静寂」という理念・目標が、禅の世界観・人間観に深く根差すものでもある点があげられます。

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